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航空券込ッ!予算25万円1ヶ月ヨーロッパ一人旅#18 スメタナの世界へ
昨日一緒にクラブに行った日本人と漸く自己紹介をした。
平山さんという。
又どこかで会うかもしれない。
睡眠時間は3時間程度だったけど大丈夫。
朝食にはまた昨日と同じくたっぷりと蜂蜜を入れた紅茶をゆっくりと飲んだ。
今日は晴れていた。
お世話になったユースホステルを早めに出て、
歩いてベルリン中央駅へ向かった。
自然とポツダム広場、ブランデンブルク門、国会議事堂を経て駅といったルートになる。
天気も良かったので改めてポチダム広場にあるベルリンの壁を見た。
因みにポツダム宣言のポツダムとは、
ベルリンの隣にあるポツダム市で採択されているので関係ない。
更にそこを超えると、通称ホロコースト記念碑がお目見えする。
正式名称、虐殺されたヨーロッパのユダヤ人のための記念碑。
広大な敷地に2711基のコンクリートの石碑がずらりと並ぶ。
通りから眺めるだけにとどめた。
そういえば、ベルリンの歩行者用信号はとても可愛い。
1961年に東ドイツの交通心理学者カール・ペグラウのデザイン。
この人形のマークをアンペルマンという。
実はこのアンペルマンドイツ再統一の際に撤去されそうだったが、
その可愛らしいデザインもあって撤去を免れ、気がつけばグッズまで販売していたりする。
うーん。これは残して正解だ。
それにしても昨日雪が降っていたなんて嘘みたいな天気だった。
シュプレー川を沿って歩き、早めに駅に着いた。
スーパーで水等を購入してから列車に乗り込んだ。
予約されていないコンパートメントを探し、
誰もいない場所を見つけると中に入って荷を下ろした。
乗り込んですぐにドイツ人と思われる女性が入って来た。
座ると思いきや、突然の口上が始まり、
自分には手持ちのお金がなく、
目的地まで38€必要だが手持ちが32€で6€足りない、
という事を並べ立てた。
あっそう。
と、あしらっても良かったが本当に困っていたら可哀想だと、
不憫にも思ったし、
付きまとわれては面倒なので1€だけくれてやった。
でも確実に怪しい。
本当に困っているんなら親、友人に電話するとか、
それがダメでも普通は切符売り場で陳情するだろう。
何故態々列車にまで乗り込んでいるのか甚だ疑問であった。
それも明らかに東洋人の旅行者に。
要領を得ないでいると、
もう一人今度はちゃんとした乗客が入ってきた。
ロンドンから来た南アフリカ人だった。白人である。
シドニィ・シェルダン『ゲームの達人』の主人公、
ジェイミー・マクレガーを思い出していた。
2人でそれぞれ3列シートを独占して横になった。
食事時は宿で作ったサンドウィッチ、
彼はスーパーで買ったパンにサラミを挟んでいた。
おやつ時には、
ベルリン中央駅でプロモーションをしており、
試供品のチョコを貰っていたのでソレを食べた。
うまい。
空はたっぷりとした雲に覆われ、
遠方からは程よく光がさしていた。
木々は緑、黄、紅と様々な色合いを見せていた。
木々が見えない時は広大な牧草地帯が姿を現した。
森であったり草原であったり天気の為か、
東側の歴史の所為か何処か悲しい感じがした。
15時36分ドレスデンを抜けてから、
40〜50分程度でチェコ最初の駅ジェチーンで少しだけ停まった。
相変わらず越境があっけない。
気がつけば日本を出てから8カ国目になる。
チェコに入ってからの景色もまた楽しく、
車窓からは綺麗な風景が見ることができる。
ごつごつした岩が差詰め、城跡のようにも見えた。
ほぼ予定通り列車は17時18分にプラハの駅に到着した。
取りあえずお金を2,000Ck(チェコ・コルナ)降ろし、
駅を出ると、とっぷりと日が暮れていた。
※1Ck≒5円
宿の客引きをするおばちゃんが近づいて来たので、
取りあえず値を訊いてみると想定していた値段より安かった。
暗い中ホテルを探すのは億劫だったのでおばちゃんに従った。
地下鉄で市街地まで移動18Ck掛かるも、
おばちゃんに奢ってもらった。ありがたい。
一泊350Ckだったが、
ツインの部屋を3泊で1000Ckにしてもらった。
中心部からかなり近く、
洗濯物もおばちゃんがやってくれるという。
ただ朝食はつかない。
まあたまにはいいだろう。
本当はドミトリーに行って情報収集するつもりであったが、
少々草臥れていたので近くのスーパーで軽い食事だけ調達して、
ぐっすりと眠った。
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TAKA
酒好きの旅人
唎酒師。 カメラを持った酔っぱらい。 3歳の頃の夢は旅人。 好き嫌いなしの健康優良児。 無類の猫好きでもある。