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航空券込ッ!予算25万円1ヶ月ヨーロッパ一人旅#19 プラハのムハとスメタナ

起きたら8時だった。どうやら良く寝たらしい。
身支度をして出発しようとする頃には、
宿のおばちゃんの姿は見えなかった。
洗濯物はどうするんだと思いながら外に出ると、
空は曇っていた。
気温はベルリンよりも暖かく、
随分行動しやすくなっていた。

メインのヴァーツラフ通りを歩き、
途中にあるホットドッグスタンドで、
白ソーセージのホットドッグを購入した。

腹が減っていたのですぐに頬張った。
あらびきのソーセージが小気味いい咀嚼音を出す。

うまい。

注意したいのが全く同じホットドッグスタンドでも、
国立博物館に近いほど値段が安い。
勿論内容は同じである。

プラハは色々な年代の建築物が見られるためおもしろい。
先ずは火薬塔へ向かった。

明らかに回りの建物に比べ古い。
1475年に建てられ、
ゴシックとルネッサンス様式が混ざっており、
高さ65mもある威風堂々とした佇まいだ。

火薬塔

旧市街の方へ歩き、ユダヤ人街を経てカレル橋へ。
橋は少々修繕工事をしており、観光客でごった返していた。

それにしてもここプラハはあちらこちらに古めかしい建物があり、
ロンドンとはまるきり違う印象を受けた。
彫刻も街中にあふれている。
橋から見えたプラハ城を目指して、
坂と階段をえっちらおっちらと登っていった。

プラハ城の内側にある聖ヴィート大聖堂は、
無料で入ることができる。

屋内には有名なミュシャのステンドグラスがある。

これは美しくかっこよい。
何分間だか魅入ってしまっていた。
なんたって中学生の時に感動した本物が目の前にあるのだから。

それからロレッタ教会を経由し、

ロレッタ教会
飢えの壁(飢餓の壁とも)

“飢えの壁”を抜けてストラホフ修道院へと足を運んだ。

飢えの壁

この飢えの壁は1360年から1362年にかけ建設され、
カレル4世が飢餓から国民を救う為に、
王家に取って必要のない壁を作らせ労働の代償として
食事と服を与えたと言われている。
お金をばらまくのではなくきちんと労働の対価として
報酬を払うというのは現代の政治でも見倣うところがある。

ストラホフ修道院はその中にある世界図書館がとても有名である。
ただ見るだけで実際に利用は出来ないのだが、
今回はそれどころか工事中であった。
にもかかわらずきっちり入館料は徴収された。
ちょっとひどい。

パネルで想像しよということ?

ヴァルダヴァ川沿いのダンシング・ビルを拝み、

宿の相場を調べるためにホテルエマの値段を見に行くと、
4人部屋のドミトリーで250Ck、6人で190Ck、8人で140Ck。
なんだ随分と安いじゃないか。
2人だったら自分の部屋も超破格ではあったが、
宿のおばちゃんは親切だったので良しとしよう。

誰もいないホテルに一度戻り、
今度はミュシャ美術館を覗きに行ってみた。
値段の割には少々狭いが、展示物は面白かった。
ちなみに運営しているミュシャ財団の代表は、
ミュシャのお孫さんがやられている。
それからミュシャはチェコ語だとムハという発音になる。

高台からプラハを一望

プラハはとても素敵な街で観光地としての魅力も高い。
それでも”行きたい”でなく、
ややもすると”行かなければ”という
義務になってしまいそうで怖い。
そうであろう人たちを沢山見るのも少し怖い。
だから偶にその人いきれに滅入るのかもしれない。
嵐のように観光バスでやって来て、
自らを中心的な被写体としてファインダーに収める、
また観光バスで何処か次の名所に向かう。

滅入る。

寒くて時折滅入るヨーロッパは、
ホットワインであったまるに限る。
それも外で。

教会でコンサートを聴いた。
一番しっくりきたのはスメタナの”我が祖国”モルダウだった。

コンサートを聴いた教会

TAKA

TAKA

酒好きの旅人

唎酒師。 カメラを持った酔っぱらい。 3歳の頃の夢は旅人。 好き嫌いなしの健康優良児。 無類の猫好きでもある。

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