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航空券込ッ!予算25万円1ヶ月ヨーロッパ一人旅#29 アマデウス・モーツァルトの墓
一応体調はなんとか回復させた。
ちょうどウィーンは天気も良く晴れていた。
地下鉄に乗って移動。
最初にシェーンブルン宮殿を見学しに行った。
中には入っていない。
ベルサイユ宮殿の時と同じで、
中身そのものにはそこまで惹かれなかったからだ。
庭の方だけ見て回り外観だけを堪能した。
とかく広大な庭だった。
こういった建物を見ると華やかだったハプスブルク家を想像する。
これが離宮というのもすごい。部屋数も1,400室超。
ウィーン会議でも有名だ。
豪奢すぎるその建物と庭は同時に酷い過去をも想起させた。
フランスに嫁いだマリー・アントワネットも処刑された訳だし。
そんな事を考えながらシェーンブルーン宮殿を後にし、
トラムに乗って中央墓地へ向かった。
途中見かけた路上体重計にはいつも不思議に思う。
外で体重を測る理由がよくわからない。
名だたる音楽の巨匠たちの墓参りへ。
別に音楽が得意な訳でも楽器が出来る訳でもないし、
どちらかというと苦手で、小学生の時のリコーダーには歯型が付いてるくらいだ。
かといって嫌いなわけでもないし、もちろん好きな曲もある。
小学生の時に音楽室にずらりと並ぶ額を思い出す。
みんな教科書にこぞって落書きをしたのも音楽だった。
好きな人に言ったら石でも投げられそうだが、
実際男子はみんなそんなものだった。
しかし小学生の時から知っている面々に合う感覚はなにか奥ゆかしい。
ついでにちょっと離れた聖マルクス霊園内にある
モーツァルトの墓にも行ってみた。
少し寂しい場所にあった。
もっとも墓にはいないモーツァルト。
映画アマデウスはみたけれど、結構死後は存外な物で、
貴族でなかったこともあり、3等級扱いで共同墓穴に埋葬。
そこで行方知れず遺骨どころか埋葬場所すらも不明状態。
なぜなら19世紀までは貴族や聖職者以外は碑なんて普通建てない。
その埋葬10年後に墓地移設のために掘り起こされ、
どういった見当をつけたのか、”それっぽい”頭蓋骨を
「たぶんモーツァルトだろう」
ということで大事に大事に保管。
それをモーツァルト生誕250年(2005)に合わせてDNA鑑定。
しかし結果はお察しの通りペケ。
中央墓地のほうがただの記念碑である理由は、
多分この辺に埋めたのでは?という当てずっぽうで設置した記念碑が
聖マルクス霊園から中央墓地に移され、
空になった元の場所に改めてお墓が作られたとのこと。
因みに20世紀に入ってから当時の墓守が「おおよそ」のところに墓石板が置かれたそうだ。
正直墓なら高野山のほうが面白いが、コレはコレで見応えはあった。
街に戻るとそんな不遇なモーツァルトも商魂たくましく大活躍。
お土産にはうってつけだ。(買ってないけど)
そしてこの国というかヨーロッパ全体に言えることだが、
辛いのは日曜日にはスーパーがどこも閉まっている事。
それはそれで良いところもあるのはわかるが旅行者には辛い。
落書きは多いし入っては行けない芝生には入る人間はいるし、
マナー違反も良く目に付いた。
昨日の食事が最低だったので、
今度こそはと思い、有名なシュニッツァの店で食事をしてみた。
1番売りであるはずのシュニッツァが不味かった。
サイドメニューで頼んだスープはうまかったが、
値段に見合うようには思えなかった。
とてもじゃなかったが完食できるものではなかった。
なんでこんなものをもてはやす人がたくさんいるか謎。
店員はドギーバッグするかと聞いてくる。
申し訳なくは思うが、いる訳がない。
ここのギャルソンたちに日本のトンカツを食わせてやりたい。
薄くて平べったいここのシュニッツァは冷めやすく味も何も無い。
オーストリア料理は不味いという印象を残して終わった。
夜の街を歩き、
お口直しではないが宿に帰り本場でレッド・ブルだけ飲んで寝た。
翌早朝に列車に乗り込み空港へ向かった。
空港につきチェックインを済まし、
腰をベンチにおろすと、横にいたおじさんが日本人だとわかった。
おじさんは岐阜から来たという。
いきなり意気投合した。
そのおじさんは今回の旅行で君のような人に出会えた事が、
一番の収穫だったとまで言ってくれた。
帰国したら飲みに行く約束をそこで交わした。
名前は児玉さん。
携帯電話の番号も交換した。
彼はそのまま成田行き。自分はバンコク経由台北行きの飛行機へ。
好きな人には悪いが欧州最後の街がどうにも一番つまらなかった。
これには残念としか言う術を知らない。
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TAKA
酒好きの旅人
唎酒師。 カメラを持った酔っぱらい。 3歳の頃の夢は旅人。 好き嫌いなしの健康優良児。 無類の猫好きでもある。