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航空券込ッ!予算25万円1ヶ月ヨーロッパ一人旅#10 ミッフィーの故郷(・×・)
目が醒めたのは7時半ごろだった。
朝食は8時からということだったので、
誰もいない共同シャワー。
溜まっていた洗濯物と一緒に入るとバルブを捻った。
280mlペットボトルに詰めた粉洗剤を使って、
足を使い、体の汚れとともにギュッギュッと洗い流した。
衣類については、汚れよりも寧ろ、
臭いの良し悪しのほうが個人的には大事である。
8時から始まる朝食はごく簡単なもので、
4種類ある中から選ぶがどれもほとんど同じ。
韓国人青年とウルグアイ人の老夫婦の4人で食事をとった。
稚拙なスペイン語で簡単に挨拶だけはしておいた。
一緒に食事をする相手がいると、
パンに薄いハムとチーズしか載っていない、
お世辞にも十分とは言えない皿が眼前にあったとしても、
おいしく頂けるから不思議だ。
韓国人の青年は合計で三か月欧州を回る予定らしく、
兵役も済んだであろうのに、
どこか柔和な面持ちで少々頼り甲斐のない感じがした。
というより体力的でなく文化的な男だった。
そういった意味で、
今まで出会ってきた韓国の男とは随分と違う印象を受けた。
良い意味で壁のない男だった。
準備を済ませ気持のよい朝を歩いた。
大通りを除けば車も少なく比較的に空気も綺麗だった。
穏やかな河の流れを愉しめ、
水面に映る家々や木々の黄葉がなんとも心を洗い流してくれるようだった。
近くにある南教会に行った。
白地に赤が映えるお洒落な教会である。
入る手前に教会から出てきたアメリカ人らしき男性が、
「ここは中のほうがスゴイ」
と言っているではないか。
実に興味をそそる。
そんな言葉に誘われて入ってみた。
するとまったくと言っていいほどに宗教色はなく、
現代アート然としたものが展示されていた。
確かにすごかった。
教会を後に中央駅へ向かい、
ユトレヒトへ行くことにした。
プラットフォームで列車を待つ間、
隣のベンチに母子3人が座っていた。
子供はこちらが欲しそうな顔をしていたと踏んだのか、
持っていたメントスを一粒くれた。
育ちが良いのだろう。
Dank u(ダンキュー)とオランダ語で礼を言うと
照れながら微笑んでくれた。
見知らぬ土地で受ける親切ほど心に沁み印象的なことはない。
ホームに入ってきた列車は2階建の列車だった。
列車に乗り込むと階段で2階に上がり
母子と一緒に入口すぐのところに腰をおろした。
走り出して一駅目に着くと、
母子はにっこりと微笑んで列車を後にした。
20分ほどでユトレヒトにつくと駅に観光案内がなかった。
困ったなと思った矢先に警察官が歩いているのを見かけ、
この街で一番高い塔の横にある観光案内処があると教えてもらい、
労せずたどり着くことができた。
まさに渡りに船だった。
案内所で地図をもらうと、
日本語表記だったのには嬉しく思った。
日本から9,000km以上離れた遠い異国の地で、
わざわざ母国語表記の地図が用意されているのは、
やはりすごいことだと思う。
今から400年以上前に始まった最初の日蘭との繋がりが関係ないとは言えない。
東京駅の八重洲口や日本橋三越新館の向かい側、
スルガ銀行の路地が按針通りという名もまた、
2人の南蛮漂着者が起因していることはその黎明期の名残であろう。
鎖国時代にオランダと中国だけが日本との貿易を許された厳然たる事実が
両国の関係を物語る。
この後、うさこちゃんことミッフィーの作者、
ディック・ブルーナー・ハウスへ行った。
周辺に停めてあった自転車もディック・ブルーナならではのトリコロールカラーだった。
中に入ると入り口に建築模型が飾ってあった。
ここにも日本語が満載であった。
漫画あるところ日本人有りなのか、
というのはわからないが悪い気はしない。
黄金のうさこちゃんを拝んでからアムステルダムに戻った。
町並みも本当に美しくあちらこちらにミッフィーが散りばめられた街だった。
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TAKA
酒好きの旅人
唎酒師。 カメラを持った酔っぱらい。 3歳の頃の夢は旅人。 好き嫌いなしの健康優良児。 無類の猫好きでもある。